東海大菅生高校→九州共立大学、強豪校で野球を続け成長した日々

「これを見ると強い気持ちになれるんです。」

そう言って見せてくれたのは、LINEのプロフィール写真。背番号10のユニフォームでバットを構える写真。
「大学で野球を引退すると決めていました。最後の打席だと思い時間をかけて打席に入りました。」と岩城諒さんが語ってくれた。

兵庫県出身で東京都の東海大菅生高校から福岡県の九州共立大学に進学し、キャプテンも務めた岩城さん。3学年上には現在、広島東洋カープで活躍する大瀬良大地選手がいた。
「まさにキャプテンの鏡でした。練習に対する姿勢とか。投手と野手で練習メニューが別でしたが、会うと声をかけてくれました。」
その大瀬良選手の背中を見て、自身もキャプテンになりたいと強く思っていた。そして、それは満場一致という形で実現することとなった。

部員200人を超える大所帯の九州共立大学の野球部を一つにまとめるのは容易なことではない。毎日ミーティングを行い、チームとしての士気を高めた。時には部員に対して怒ることもあり、自ら嫌われ役をかって出た。
「人生の中でも濃い4年間でした。すべてが野球でした。そこから、責任感、自覚、相手に対する思いやりを学びました。」
岩城さんの野球人生は思うようにいかないこともあった。社会人野球を視野に入れていたが、半月板損傷のケガにより手術をし諦めざるを得なかった。野球を引退する4年生は春のリーグ戦が終わると就活をする選手もいる中で、秋までキャプテンでいることを自ら志願した。
「負けず嫌いなんです。最後までやり切りたかった。」

そして、秋のリーグ戦は優勝。しかし、胴上げはしなかった。まだその先があると。
神宮大会をかけたトーナメント戦の準決勝。対戦相手は日本文理大学。ピッチャーには現在千葉ロッテマリーンズに所属する坂本光士郎選手がいた。9回まで3安打と抑えられ、5対0で負けていた。
「8回の時に監督に言われていました。9回2アウトは岩城行くぞと。その時野球人生最終打席になるかもしれないと思いました。」
これで、最後。スタンドにいる両親への感謝、自分の代は一度も神宮大会に行けなかったという申し訳なさ、このチームでもう少しやりたかった等、色々な気持ちが出できた。その中でも一番は、最後まで楽しもうという気持ちだった。
結果はライトフライ。人生の第一章が終わった瞬間だった。

岩城さんは、現在大阪にあるアパレルメーカー平松工業(株)に勤務し、人生の第二章を歩んでいる。
高校、大学と野球人生を通して学んだことは、人間性、社会で生きていく為の準備です。強豪校で培った経験は社会人になった今もしっかりと活きている。
「この時があるから今があります。まわりへの感謝の気持ちは忘れず持ち続けています。」
LINEの写真を手にそう語る岩城さんの顔はとても生き生きとしている。

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